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歴史探訪

-みなとまち鳥羽-
歴史マップ
伊良子清白旧宅
伊良子清白旧宅

伊良子精白は明治期に活躍した詩人で、大正11年、鳥羽の小浜に移り、以降22年間住んでいました。住居兼診療所として使われ、北原白秋や西条八十も訪れています。この家は平成21年に鳥羽に移築されました。

門野幾之進記念館(生家跡)鳥羽市歴史文化ガイドセンター
門野幾之進記念館(生家跡)

千代田生命保険会社を設立(明治37年)した幾之進が生まれ育った家跡。記念館にはゆかりの資料を展示しています。家老の家に生まれ、14歳で慶應義塾に入った幾之進は福沢諭吉の片腕として働きました。鳥羽市歴史文化ガイドセンターが併設されており、鳥羽の魅力を発信することを目的に、市民ボランティアがまちのガイドを務めています。

日和山山道
日和山山道 鳥羽

海の天気を見るために、船頭や船宿の主人が通った日和山への道です。

賀多神社

毎年4月の初旬の春祭りに薪能が奉納されます。能面、能装束、組立式能舞台1組は県指定文化財。九鬼嘉隆が日本丸を作る際、この神社の木を遣いその後に千本の杉を植えたと伝えられ、そのうちの1本の老杉が今も残っています。

妙性寺

本尊は阿弥陀如来像。寛永元年(1624)に寺を建てたのがはじまり。墓地には明治14年に鳥羽商船学校を創設した近藤真琴、鳥羽藩校「尚志館」の句読師であった有馬百鞭の墓があります。

本町町屋家並み

本町や大里地区には多くの料亭やまちや(遊郭)などが軒を連ねていましたがが、昭和30年代を境に次第に姿を消しました。今でもこの地区には明治の古民家が多く残っています。

常安寺

九鬼家の菩提寺。嘉隆の息子である守隆が改築し、常安寺と改めました。境内には守隆が寄進した石灯籠や鰐口、九鬼家の廟所、稲垣氏歴代の墓碑があります。ほかに嘉隆自害の短刀、嘉隆肖像画など、多くの文化財があります。

御木本幸吉生誕の地

御木本幸吉は、安政5年(1858)に鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男として誕生しました。うどん屋は残っていませんが、その跡地に石碑が建っています。 → リンク

相橋

岩崎に集中していた武家屋敷から鳥羽城に上がる武士が使った橋で、城への陸側の玄関口でした。

妙慶川

鳥羽城が築城されるまで、伊勢・志摩両国の国境であった川。鳥羽城の堀としての機能を有し、相橋の城山側に江戸期からの石垣が残ります。

大山祗神社

九鬼嘉隆が鳥羽城築城の石垣を築く時に邪魔をしたという伝説の三鬼神が祀られていた場所に、明治40年、横町、中ノ郷、藤之郷、錦町の村社として建てられました。今も4月の春祭りには、雌雄の獅子と天狗が町内の民家を回り、祓い清めます。

鳥羽城跡

九鬼嘉隆が文禄年間(1592~1596)に築いた城で、今も近くの海や川から運び込んだ石で積まれた石垣の一部が相橋と本丸跡などに残っています。三重県指定史跡。 → リンク

二の丸、三の丸跡

鳥羽城の御殿があった場所です。

金胎寺

もともとは鍋ヶ崎(中ノ郷)にあり、内藤忠重の代に現在の場所に移しました。商売繁盛、厄除けの祈祷寺として町民や廻船業者の信仰を集めました。平成7年6月7日に本堂は火事で焼失。境内には松尾芭蕉の句碑、四国八十八ヶ所の石仏があります。

家老屋敷跡

城内の家老屋敷があった場所です。周囲の石垣は野面積みで、現存する数少ない鳥羽城の石垣のひとつ。

光岳寺

享保11年(1726)稲垣氏が鳥羽城主となり、三河刈谷から鳥羽に移してきたお寺。稲垣家の菩提寺で歴代の藩主位牌が祀られています。寺には、日本丸の板戸4枚(市の指定文化財)を所蔵。鳥羽藩の過ぎたるものの一つといわれた剣術家の新井十内の墓もあります。

済生寺

秘宝8年(1680)、江戸霊厳寺の僧・相蓮社伝誉上人が再興して済生寺と号したといわれています。墓地には真珠王・御木本幸吉、幕末の鳥羽藩の家老を務めた門野家のお墓があります。

旧鳥羽小学校

昭和4年(1929)、清水栄二の設計。三重県最初の鉄筋コンクリート3階建ての校舎として建築され、アーチを取り入れたヨーロッパ様式が特徴です。

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