江戸川乱歩館について
-鳥羽との関わりや著作・乱歩の愛用品など-
江戸川乱歩は、鳥羽で青年時代の一時期を過ごし、その後も岩田準一との交流により訪れています。さらに、妻・隆(りゅう)のふるさとでもあるなど、鳥羽は江戸川乱歩と深い関わりを持ちます。乱歩館ではこうした鳥羽との関わりや著作などを紹介するとともに、乱歩の愛用品や乱歩が撮影し編集したミキモト真珠島の海女の映像などを展示しています。
乱歩の愛用品
晩年のトレードマークともいえるベレー帽をはじめ、眼鏡、万年筆など乱歩の愛用品を展示。
鳥羽と乱歩の関わり
大正6〜8年、鳥羽で働いていた時代を中心に、仕事ぶりや、妻・隆との出会いなどについて、写真やエピソードを交えながら紹介。
乱歩シアター
鳥羽の見どころや離島の様子のほか、乱歩自身が相島(現在の真珠島)で撮影し、編集した映像などを上映。
屋根裏の散歩者(大正十四年)
作品のアイデアをかつて鳥羽で暮らしていた時期に思いついたという、鳥羽ゆかりの作品。アパートの屋根裏から、他人の暮らしをのぞき見ているシーンをリアルに再現。
虫(昭和四年)
女性を愛するあまり、殺してしまった男の物語。自らの安住の場所である土蔵で、愛する女性の女性の死体とともに向き合うシーンを、和紙彫塑家・内海清美による和紙の人形で美しく再現しています。
パソラマ島奇談(大正十五年)
「パノラマ島奇談」の書き出しにあるM県は三重県、I湾は伊勢湾、S群は鳥羽を含めたかつての志摩郡のことといわれます。パノラマ島のモデルは、鳥羽の相島(現在のミキモト真珠島)ともいわれています。名シーンの朗読による音響演出をしています。
江戸川乱歩・竹久夢二を魅了した鳥羽の鬼才「岩田準一」
プロフィール
画家・風俗研究家 岩田準一
岩田準一は、明治33年(1900年)3月19日、鳥羽で生まれました。中学時代には、既に辰巳京太郎という号を持ち、竹久夢二風の女性や少年などを描いており、後に夢二に師事しました。また、交流のあった江戸川乱歩の作品に挿絵を提供したり、鼎銀次郎の名で探偵小説や通俗読物を書くなど、その活動は多岐にわたりました。民族研究の分野においては、志摩地方の海女や「はしりかね」と呼ばれる船遊女をテーマに研究を行いました。さらに準一のライフワークと言えるのが男色研究です。同好の友であった江戸川乱歩とともに十数年にわたる文献収集を続け、「本朝男色考」「男色文献書誌」などを著しました。準一は男色研究を通じて、日本の影の部分に光をあて、歴史を見る新しい視点を後世に残しました。「本朝男色考」は仏・英語に翻訳され、フランス・イギリスでも出版されています。昭和20年、文献調査を行っていた東京・渋沢敬三邸にて吐血し、数日後、45歳の生涯をとじました。